12月、丹沢に写生に行っておりました。
2011年、明けまして、おめでとうございます。
丹沢で、年末ギリギリまで、杉の樹を写生しておりました。
12月5日の夜に車で出立。
6日朝より、題材にする樹を、丹沢の杉と、その隣町の静岡の銀杏の2本に搾り、行ったり来たり・・・結局杉に決めました。
6日夕方近くなって、小さいスケッチブックにエスキースを取り、写生の構図を決め、翌日からF40号のパネルに水張りしたワトソン紙に、写生を始めました。
最初の9日間は、経費を節約する為に車で寝ていました。もちろん、長年の経験から、防寒寝具の装備は万全です。
ですが、やはり45歳です。1週間を過ぎた辺りから、体調が思わしくなくなり、ここで倒れたらどんどん写生は遅れて寒くなる一方ですから、後半は、意を決して民宿に泊まりました。幸い、民宿は写生現場の目の前なんです。予約したら、宿の女将さんが樹の所まで来てくれました。
偶然にも、女将さんは拙宅の隣町のご出身、ご好意で、素泊まり3500円のところ、1泊1食(夕食)つけて3250円にしてくださいました。格安ですよね。結局、民宿の居心地が良くて、10泊しました。
画像は、光ってかなり白っちゃけて写っていますが、仕上がりがだいぶ近くなった状態です。
鉛筆(ステッドラーHB~5B)でデッサンして、固形透明水彩(ウィンザー&ニュートン、アーチストウォーターカラー24色+バラ4色)と色鉛筆(ファーバーカステル120色+他社制数十色)で色をつけていきます。今回、湿気が多かったので、最初に、柔らかい5Bであたりをつけていきました。
谷から吹き上げる風、山から吹き降ろす風、時々突風が来るので、パネルとイーゼルをしっかり固定しました。階段の丸太を組んでいる針金に、自転車用のゴムひも2本で、イーゼルをがっちり、後方と下方へ固定し、縦30号までしか固定できない屋外イーゼルですが、パネルの裏の垂木に桟を足して、なんとか縦40号でもがっちり固定できるように工夫しました。
途中、日本画教室の年内最終日(忘年会)と、研究会(師の御宅での月例勉強会)、クリスマス(家庭サービス)で、2回、茨城の自宅に戻りましたが、結局、暮の29日まで、延べにして滞在日数22日、3週間強(19泊)、写生が終るまでかかりました。
例年ですと、2週間ほどでだいたい仕上がるのですが。いままでは30号に描いていましたのと、山の中なので、日照時間がかなり短く、午後4時には暗くなりますから、1日に描ける時間がいつもよりかなり短かったのが原因です。それから、日中の雨で2日間だけは描けませんでした。でも、滞在期間が短いわりには、昼間の雨は少なかったと思います。
写生が終った12月29日は、亡き前の師、森田曠平先生の命日であり、また、この杉は神木で、年に2回の注連縄の張替えの儀式が、この日の朝、目の前で始まりましたので・・・この偶然には、とても驚きました。
これから、下図を練って、本画に入ります。完成・搬入は3月18日。
それまでに、行き詰ったら、またこの樹に会いに行くつもりです。
2月半ば過ぎると、雪が降るそうですが、速やかに除雪されるますし、車が全く入れなくなるほどの豪雪にはならないそうです。
車のカーナビの表示では、標高600メートルあるんですが、ここまで、自転車ですいすいと上がって来る人が、けっこう多いです。私も自転車を少しやるんですが、この健脚は見習いたいですね。
※この取材とは関係ありませんが、私の所属する美術団体の、茨城県出身の審査員の先生の最新インタビューです。
http://mov.sanyo.oni.co.jp/movie/content/mid/20110101081626695/
何か、感じる人もいると思います。
ありがとうございます。
見る人にとっては、作品=結果しか見えないわけで、それが本当は全てではあるんですが・・・描いている本人的には、いい作品が出来るように祈るように進めていく、こういう地味なプロセスも、大切なものだと思っています。全く考え方が違う方もいらっしゃいますけど、私はそう信じています。