130802 プレイバック・アーティスト・トーク展@東京国立近代美術館(竹橋)
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投稿日 | 2013年08月04日 00:44 |
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プレイバック・アーティスト・トーク
<東京国立近代美術館> 12人の画家が、自身の作品について、あるいは制作しながら考えていたこ...
さてさて、
東京国立近代美術館(以下、近美)の展覧会に行ってきました!
最近、行く機会が増えたな、近美♪
近美が2005年以来、30回に渡り、
コレクション展に展示された作品の前で、
アーティスト本人が自作について語る「アーティスト・トーク」。
今回は、その中から、
とくに絵画に焦点をあて、作家12人のトークのダイジェスト映像と
当館コレクションの作品約40点とをあわせてご紹介しています。
どの映像も15~18分で、
しかも、3人一組を四ヶ所で同時並行で、
順次映像を流しているので、
見たい作家を一度逃すと30分以上待たなければなりません。
全部見るのはとてもとても…。
でも、時間があったら、じっくり全部見たい企画でしたー。
ゆこもりは、ギャラリーを始める以前から、
作品を見る時、「作り手は、どうしてこれを描いた(作った)んだろう?」と、
思う方でしたから(苦笑)
まあそれがそのまま、今のギャラリー運営に出ていると思います。
なので、今回のこの企画は、まさにゆこもりど真ん中!
限られた時間の中で気になった作家さんの作品や言葉を挙げると…
①小林正人 (作品:Unnamed #7 1997)
全部を見られなかったけど、一番、哲学的に感じた作家さん。
言葉が、断定的で、作品に思想が込められている感じを
ひしひしと感じました。
「この作品は、彫刻ではない。なぜなら、絵画の正面性があるから。」
「人が生きているこの世の中に、完結したものはひとつもありません。
この作品は、完結しない世界でのあるひとつの完成の仕方なんです。」
「人は形を作る。決して完成されない世界の中で、何かを完成させる。
つまり、物はたまたまある形をとっているわけです。
”奇跡的に”と言ってもいいかもしれない。」
②岡村桂三郎 (作品:黄象 05-1 2005)
今回の12人の中で、唯一知っていた作家さん。
やっぱり、映像全部は見られなかったけれども、
力強くわかりやすい言葉が印象的でした♪
作品のキャンパスは、普通の巾10cmほどの板を繋げたものでしたっ!
線も彫ってあるし、まるで版画みたい(笑)
一種、彫刻のジャンルに踏み込んでいる気がしましたー。
「絵を描くことは、呪術的。」
「絵を描くことは、自分の力で削り込んでいく、画面に”念”を入れる行為。」
③堂本右美(ゆうみ) (作品:Kanashi-11 2004)
今回一番お気に入りの作品ー♪
どこかで見た気がするなー。
黒い太い線が特長的で、一度見たら忘れないインパクトのある絵です♪
これは、映像、全部見られました♪
作品自体は、堂本さんだけ一点のみの展示。
この作品は、
「花瓶から八方にチューリップが垂れているイメージ」なんだそう。
でも、おばあちゃんが、背を丸めて座っているようにも見えます(笑)
「キャンパスの上では、描いているうちに自然に体が動いてくるっていうか、
形が決まってくるんですよ。自ずと。ちゃんと、キャンパスの前に立たないと描けないというか
燃え上がってこないんですよね。モニター上ではこうはいかないです。
あるのは、情報だけですからね。」
そうか…、確かにあっても視覚情報だけですもんねー。
④辰野登美子 (作品:Untitled 95-9 1995)
長野・岡谷出身の画家さん。
やっぱり、どこかで見た気が…、
と思ったら、見れなかったけど、以前、写真家柴田敏雄さんと、
展覧会をしていて、絵の方が辰野さんだったんですねー。
うまく言えないけど、何か心にひっかかるというか残る作品…。
「この作品は、制作の過程の中でずいぶん変貌してきて、
やっと捉えられた形だと思います。~中略~
あくまでも内側から発せられた形でありたいと、
そんなことを願いつつ描いた作品であるわけです。」
⑤秋岡美帆 (光の間 02-5-17-5 2002)
NECO(New Enlarging Color Operation 拡大作画機)で写真をプリントし、加飾。
なんといっても、楠を被写体にした「よどみ そよぎ ながれ」の三部作がよかった~!
秋岡さんは、この楠の素晴らしさに心打たれ、12年間撮り続けたそう!
よほど、運命の出会いだったんだろうな…。
⑥長沢秀之 (生命体 2008)
やっぱり初めてみた画家さん。
何を描いているか、「?」だったけど、
映像は示唆に富んでいました。
「今、非常に重要だなと思うのは、言葉の問題なんですね。
ぼくらは自分の絵を描いて、それを日本の言葉で語っていかなくてはいけない、
そういう風な意味での言葉なんですけどね。~中略~
もう少し自分たちの言葉で具体的に語っていかなくちゃいけないんじゃないかな、
という風なことを本当に強く思います。」
「最近の自分のことを考えると、肉体はあるけれど空っぽな肉体の作業なんじゃないかな
と思っています。~中略~ただの空っぽさとはちょっと違うと思っています。
そういう空っぽさの中から、色のようなもの、あるいは色気のようなものが
にじみ出てきたらいいかなと思って、制作を続けています。」
⑦日高理恵子 (樹を見上げてⅦ 1993)
タイトルの通り、樹を見上げて描く作家さん。
ゆこもりの敷地にも、ケヤキの大木があるのですが、
まさしく、この絵の感じ!と思い、親近感が湧きました。
秋岡さんといい日高さんといい、
木々からインスパイアされるんだなあと、思いを新たにしましたねー。
「ここ数年の私の中では、見つめれば見つめるほど、ひとつの枝が、
すごく遠いようにも、とても近いようにも感じられて…
その距離感を感じる不思議さに、とても惹きつけられるところがあって。
~中略~一枝一枝を描くという作業を繰り返していくことによって、
その向こうにある空という空間、描くことが出来ない空間が
立ち現われてくることを求めているというか、そこに少しでも近づくために、
私は樹を見上げて描いているような気が最近すごくしています。」
今回は、初めて見た画家さんばかりだった。
当たり前ですけど、
皆さん、いろいろ考え、真摯に試行錯誤していらっしゃるんだなあ、と
あらためて知った次第です。
で、この展覧会、実は…、本日までです…。
報告遅れてすみません…。
是非また、やってほしいなー。
アーカイブスの素晴らしい活用方法だと思いました。