「あいちトリエンナーレ2013 揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」
みなさんこんにちは。
今日は、あいちトリエンナーレの話をしたいと思います。
「あいちトリエンナーレ2013 揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」ということで、今回は第2回目なのだそうです。国内外から122組のアーティストの作品が我々を迎えてくれます。現代美術のほか、パフォーミングアーツ、プロデュースオペラ、映像プログラム、建築など、見ごたえ抜群!!前回では名古屋でしかやっていなかったらしく、「これでは、なごやトリエンナーレだ」という意見があったそうで、今回は名古屋をはじめ、岡崎にも会場を跨ぎ、開催されています。
こうした国際芸術祭は田舎型と都市型で大きく印象が異なりますし、仕事も変わってきます。特に非日常性は圧倒的に田舎型のほうがよく出ますね。ただ、都市型は美術館を大きく使うことができるメリットがあります。
今回のコンセプトは「揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」です。芸術監督である五十嵐太郎さんはこのコンセプトで震災だけに焦点を絞っているわけではないことを強く言及していました。「震災から時間が経った今、我々が立つ場所やアイデンティティが揺らいでいる危機的な状況」という広い見方ができるとおっしゃっています。「われわれはどこに立っているのか」というのはポール・ゴーガンの大作《われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか》(1897-98)から来ていますね。多分。
そうそう。ゴーガンのこの作品に対する答えが森博嗣の作品の中にありましたね。
真賀田博士と犀川先生との会話です。
「私たちは、どこへ行くと思います?」
「どこへ?」
「どこから来た?私は誰?どこへ行く?」
「貴女は、貴女から生まれ、貴女は、貴女です」「そして、どこへも行かない」
初めてこの文章を読んだとき、瞬時に「ゴーガンだ」と思いました。
さて、話を戻しましょう。
まず私が向かったところは愛知芸術文化センター内にある、愛知県美術館の10階です。愛知県美術館では10階と8階に会場があって、8階にはキッズトリエンナーレと称しまして、子ども向けのプログラムもありましたよ!
愛知県美術館にはヤノベケンジさんの作品をはじめ、多くのアーティストによる「われわれはどこに立っているのか」に対する(ひとつの)提示がありました。展示は10階と8階で主に行われており、初めに10階に行きました。中国のソン・ドンさんの《貧者の智慧》という作品がとても面白いなと思いました。入って最初に出てくるのですが、古い家具を利用して庭を造っていました。大変広い空間に多くの家具を解体し、配列されていました。まるで秘密基地みたい。わくわくしましたよ。
8階へは次の日に行きました。この写真は韓国のソ・ミンジョンさんの《ある時点の総体》です。人が写っていますので、大きさはだいたい分かると思います。素材は発泡スチロールです。私はこの作品を見たとき、瞬間的に(この元の)建物の解体だけでなく、時間も解体されていると感じました。建物における構造物が解体し、時を止めるような配置を施し、光のもとに晒しているというのは確実に時間における「ある地点」を指し、また場所における「ある地点」をも表しているのでしょう。考えさせられます。
カナダのジャネット・カーディフとジョージ・ビュレス・ミラーの《40声のモテット》もぐっと来ましたね。スピーカー同士が輪になって内側に向いて立ててあります。スピーカーはそれぞれ人に見立てられ、それぞれのパートを歌っています。音を追うのがとても楽しかった。
愛知県美術館は愛知芸術文化センターというところなのだけれど、そこのホールでは映像プログラムやオペラを観ることができます。オペラは上演時間や日にちが決まっていますので、チェックしてから行くことをお勧めします(チェックしていなかったアホ)
次のレビューでは別のエリアに行ったお話をしようと思います。お楽しみに。