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泥象 鈴木治の世界 ―「使う陶」から...

<愛知県陶磁美術館> 戦後の日本陶芸を代表する陶芸家の一人、鈴木治(1926-2001)の没...

さてさて、

愛知県陶磁美術館で開催中の

鈴木治の世界 「使う陶」から「観る陶」、そして「詠む陶」へ

をやっと見られました~~!!

鈴木治(1926~2001)と言えば、『走泥社』。

走泥社といえば、以前ご紹介した八木一夫が思い浮かびます。

実はゆこもり、鈴木治の作品をしっかり見るのは初めて…。

ここ十年は、回顧展など大きな展覧会は、

やっていなかったんじゃないかなー。

いや、素晴らしい…。

ほんと、少しでも、『陶』に携わっている人、

特に、『ウツワ』でないものをやっている人は見なきゃダメですね!

『走泥社』が、昔からの「器であること」から、

「壺の口を閉じるか閉じないか」に踏み込み、

今の『オブジェ陶』があるといっても過言ではないのは、

異論のない所だと思うのですが、

『オブジェ陶』の芽生えから高々、数十年なんですよね、まだ。

そんな現代日本オブジェ陶芸史の

根幹をなす作家の回顧展な訳です。

ゆこもりではほぼ、

『ウツワ』と『オブジェ』両方を制作する作家さんをご紹介しています。

それは、轆轤を基本とする形の決まった「用」の『ウツワ』の技と

手びねり中心の、その作家しか為し得ない『オブジェ』が、

制作の両輪として、作家性を高めると考えているからです。

実際、八木一夫も鈴木治も轆轤の名手でしたし。

(まあ最近の陶芸界は、技術革新も進み、型ものなどもあるので、

轆轤技に拘泥する必要はないのかもしれませんが…)

鈴木治の場合、轆轤はほぼ使わず、時々茶碗を作る程度だったようです。

でも、焼き締めと青白磁、紐作りと轆轤、といった『行ったり来たり』は、

マンネリ化、ルーチンワークを防ぐ、大切なものだったに違いありません。

サブタイトルの「使う陶」から「観る陶」、そして「詠む陶」へ は、

1992年の個展開催時の鈴木治の言葉

「(前略)ご覧になる方々に一連の作品から

物語を、或いは詩歌を

イメージしていただければと

願っています。

「使う陶」から「観る陶」への広がりを

さらに「読む陶」「詠む陶」へと、

そんな一つの試みであります。」

から来ているそうです。

「詠む陶」つまり、詩的・ポエティな感じが漂う

何か「雰囲気」を纏っている作品…。

受け手側にいろいろ想起させる、

まさしく、「佇んでいる…」、そんな感じを受けました。

つまりっ!ゆこもりど真ん中~!!な訳です(爆)

幾ら言葉を尽くしても足りないのですが(苦笑)、

実際に気になった作品はというと、

①消えた雲(1982 cat no.104)

もう、シュルレアリズムの世界観。

信州の美術館で開催された

日本初のマルセル・デュシャン回顧展に行くすがらに見た、

信州の空に浮かぶ雲がきっかけだったそう。

②土偶(1962 cat no.16)

まるで建築物のよう!

細かい線刻の模様が、やりたいことに満ち溢れている感じで、

今でも充分最先端!!

③泥像(1965 cat no.22)

右上部分の絶妙な「ズラシ」加減といい、

左下を窪ませ、足になっているところといい、

後ろ~横にかけては、上下二分割といい、

ほんと、これでもかっ!と、何かしたい人(苦笑)

④馬(1967 cat no.32)

「馬」シリーズの最初。

とてもシンプルで、でも造形的な意欲を感じる。

まさに、「佇んでいる」感じがしました。


⑤風の区域(1986 cat no.114)

八木一夫の「いつも離陸の角度で」を彷彿とさせるカタチ。

見る方向で全く違う形で、

シャープさと柔らかさが混在する「オブジェ陶」の集大成。


⑥掌上泥象 三十八景(1987 cat no.116)

焼き締め陶のマケット?

いろんなカタチを小さく試したのかな??

すっげー、カワイイ♪

欲っし~~い!!


12/23(月・祝)までです。

是非ぜひ、見に行ってほしいです!!

ちなみにこの後、

東京ステーションギャラリー、山口県立萩美術館に

巡回予定です♪



愛知県陶磁美術館 HP

http://www.pref.aichi.jp/touji/exhibition/2013/t_suzuki/