131106 鈴木治の世界@愛知県陶磁美術館(瀬戸市)
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投稿日 | 2013年11月12日 00:38 |
このブログで紹介するイベント
泥象 鈴木治の世界 ―「使う陶」から...
<愛知県陶磁美術館> 戦後の日本陶芸を代表する陶芸家の一人、鈴木治(1926-2001)の没...
さてさて、
愛知県陶磁美術館で開催中の
鈴木治の世界 「使う陶」から「観る陶」、そして「詠む陶」へ
をやっと見られました~~!!
鈴木治(1926~2001)と言えば、『走泥社』。
走泥社といえば、以前ご紹介した八木一夫が思い浮かびます。
実はゆこもり、鈴木治の作品をしっかり見るのは初めて…。
ここ十年は、回顧展など大きな展覧会は、
やっていなかったんじゃないかなー。
いや、素晴らしい…。
ほんと、少しでも、『陶』に携わっている人、
特に、『ウツワ』でないものをやっている人は見なきゃダメですね!
『走泥社』が、昔からの「器であること」から、
「壺の口を閉じるか閉じないか」に踏み込み、
今の『オブジェ陶』があるといっても過言ではないのは、
異論のない所だと思うのですが、
『オブジェ陶』の芽生えから高々、数十年なんですよね、まだ。
そんな現代日本オブジェ陶芸史の
根幹をなす作家の回顧展な訳です。
ゆこもりではほぼ、
『ウツワ』と『オブジェ』両方を制作する作家さんをご紹介しています。
それは、轆轤を基本とする形の決まった「用」の『ウツワ』の技と
手びねり中心の、その作家しか為し得ない『オブジェ』が、
制作の両輪として、作家性を高めると考えているからです。
実際、八木一夫も鈴木治も轆轤の名手でしたし。
(まあ最近の陶芸界は、技術革新も進み、型ものなどもあるので、
轆轤技に拘泥する必要はないのかもしれませんが…)
鈴木治の場合、轆轤はほぼ使わず、時々茶碗を作る程度だったようです。
でも、焼き締めと青白磁、紐作りと轆轤、といった『行ったり来たり』は、
マンネリ化、ルーチンワークを防ぐ、大切なものだったに違いありません。
サブタイトルの「使う陶」から「観る陶」、そして「詠む陶」へ は、
1992年の個展開催時の鈴木治の言葉
「(前略)ご覧になる方々に一連の作品から
物語を、或いは詩歌を
イメージしていただければと
願っています。
「使う陶」から「観る陶」への広がりを
さらに「読む陶」「詠む陶」へと、
そんな一つの試みであります。」
から来ているそうです。
「詠む陶」つまり、詩的・ポエティな感じが漂う
何か「雰囲気」を纏っている作品…。
受け手側にいろいろ想起させる、
まさしく、「佇んでいる…」、そんな感じを受けました。
つまりっ!ゆこもりど真ん中~!!な訳です(爆)
幾ら言葉を尽くしても足りないのですが(苦笑)、
実際に気になった作品はというと、
①消えた雲(1982 cat no.104)
もう、シュルレアリズムの世界観。
信州の美術館で開催された
日本初のマルセル・デュシャン回顧展に行くすがらに見た、
信州の空に浮かぶ雲がきっかけだったそう。
②土偶(1962 cat no.16)
まるで建築物のよう!
細かい線刻の模様が、やりたいことに満ち溢れている感じで、
今でも充分最先端!!
③泥像(1965 cat no.22)
右上部分の絶妙な「ズラシ」加減といい、
左下を窪ませ、足になっているところといい、
後ろ~横にかけては、上下二分割といい、
ほんと、これでもかっ!と、何かしたい人(苦笑)
④馬(1967 cat no.32)
「馬」シリーズの最初。
とてもシンプルで、でも造形的な意欲を感じる。
まさに、「佇んでいる」感じがしました。
⑤風の区域(1986 cat no.114)
八木一夫の「いつも離陸の角度で」を彷彿とさせるカタチ。
見る方向で全く違う形で、
シャープさと柔らかさが混在する「オブジェ陶」の集大成。
⑥掌上泥象 三十八景(1987 cat no.116)
焼き締め陶のマケット?
いろんなカタチを小さく試したのかな??
すっげー、カワイイ♪
欲っし~~い!!
12/23(月・祝)までです。
是非ぜひ、見に行ってほしいです!!
ちなみにこの後、
東京ステーションギャラリー、山口県立萩美術館に
巡回予定です♪
愛知県陶磁美術館 HP
http://www.pref.aichi.jp/touji/exhibition/2013/t_suzuki/