イースターに想う
満開の桜と対象的に桜花の散りゆく姿がなんとも儚い世の中に思えてきます。
新型コロナウイルスや戦争で昨日まであったはずの命が消えてゆくその様子は白骨の御文章を思わせます。
北村透谷は【朝靄の歌】というタイトルの詩で次のように書いています。
もらすなよあだうつくしの花
消ゆる汝共に散るものを
うつくしとても幾日經ぬべき
盛りと見しははやすたり
【もらすなよ】から始まる書き出しに惹きつけられ調べてみたところ
見逃すなよ、という意味で【あだ】を強める言葉になっています。
【あだ】は儚いという意味です。
【汝】が今しも、と訳すのか、私と訳すのか、あなたと訳すのか難しいですが
これらを踏まえ通して読んでいくと大意は
見逃すな、儚く美しい花を。
消えゆく私と共に散るものは美しいとされ幾日経った
花の盛りの時を見られるのは、あっと言うまで早いのだよ。
(だから見逃すな)
そんな感じになると思います。
ただ北村透谷は気落ちするようなことを伝えかったのではなく
カトリック信者であった彼は確かでありながら目に見えぬ不確かな神の愛を表現したかったのかもしれません。
今日はイースター、復活祭です。
神の愛が再び証明された日です。
不安な状況においても筆を持ち書ける日々に改めて感謝します。