【F3展レビュー vol.11】大石麻央 × 内ゆき+新直子
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投稿日 | 2011年07月05日 16:18 |
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【F3展】会期⑥ 大石麻央 × 内ゆ...
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モアノを訪れる人は何を求めてその扉を開くのだろうか、
初めて訪れた人なら誰しもが、庭園にあふれる季節の植物たち、店内に流れるフランス音楽、ガレットの香ばしい匂い、装飾の施された白い壁に、まるで美しい避暑地に迷い込んだような非日常を感じるだろう。モアノの1階と地下部分のギャラリースペースはその非日常感をさらに引き立たせているように思う。
今回、私は「日常」をテーマに今回の展示について述べていきたいと思う。
地下にあるのは筑波大の新直子と内ゆきの作品たち。
まず目に入るのが入り口にある作品「Facetofacetoface」。二つの顔の彫刻に挟まれた、少し低い位置にある一枚の鏡を覗き込むと、外の暑さで頬の火照った自分の顔が映る。いつも見慣れた私の顔だが、まるで自分の顔さえも一つの作品の一部になったような気分になる。「他人は自分を映す鏡」と言うが、彼女たちの経験や個人的背景を色濃く映し出す作品たちによって、この展示を見て何を感じ、きっとその揺れ動いた心は、鏡の中に写る私に反映される。最後にもう一度、この作品の鏡を覗き込んだときの私は、数分前の私と違って見えるかもしれない。
内ゆきによる彫刻作品の数々は、素材の味を活かし、豊かな表情をしている。「魚心」からみる荒削りされた木片でできた魚の作品もまた、生存競争の激しい海でしのぎを削った魚の命の力強さを感じる。
さらに壁には、新直子による水彩と鉛筆でかかれた小作品たち「Drawing」がある。素朴な画風で人々の日常を軽いタッチで描く。黒い蝶ネクタイをした紳士に、後ろを走る不思議な2人組、じっとこちらを見つめる赤い顔の人、カラフルな顔の人がたくさんひしめき合ったもの、どこか生活の一部を切り取ったような作品たち、一個一個の作品に物語を感じる。私たちの日常もまた、一つの物語のようなものではないだろうか。何が起こるかわからない、私たちの前に起こる出来事に一喜一憂し、心を動かされ、また明日がやってくる。
悲しいこと、うれしいこと、悔しさ、怒り、日常にあふれる物事は、当たり前のようで非日常で特別なのである。
一階に行くと、ピストルを片手に持つうさぎが一際目を引く、大石麻央による作品がある。
「今日はおうちでごはん」と題された作品は、壁一面めいいっぱいに広がる大量の家庭の冷蔵庫に向かって、ピストルを撃つうさぎ、傍らに白い動物のマスクを脱ごうとする2体がたたずんでいる。このうさぎ、背丈も成人女性と変わらないくらいで、ワンピースを着、カレーの素材が入ったビニール袋を持つ。まるで人間のようである。作者はこう述べている「動物のマスクを被る人体は、私の一貫したテーマのもとにあります。 人は人を好きになるときにどこで判断するのか? 見た目を好む好まないに関わらず、好きだという気持ちに、性別も年も人種も信じるものも人であるかどうかさえも関係ないと思うのです。(引用)」どこか、不気味で不穏な空気が流れるこの作品。しかし、好きな人、親しいものに対する、暖かな感情を感じる。みんなそれぞれに家庭がある。家族という存在は、結びつきが強い分、衝突したり、愛おしくなったりする。家庭に向かってピストルを撃つうさぎに、愛すること、憎しみ、の表裏一体の思いを感じた。それは、誰にだって持ちえる感情。たんたんとした日常であっても、起伏はある、でも私たちは切っても切れない家族の絆を守り続けているのである。
私たちは、朝起きて寝るまでに今日一日、一体どれほどの数の人と出会っただろうか?自分が意識していないところでも、駅までの道、電車の中、ふらりと立ち寄った店、実にたくさんの人と出会っているはずだ。
すれ違ってきた人、それぞれが「日常」を過ごし、過去を作り、明日へ向かう。
今まで他人だった者同士が顔と顔を向き合わせて話す。二人の過去が交差し、個々の背景に共通した何かを見出すとき、私たちの世界は広がり、深まっていく。Face to face、それは新しいつながりの始まりなのかもしれない。
レビュアー:荒巻美衣