【F3展レビュー vol.01】安生成美×足立篤史
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投稿日 | 2011年04月16日 00:34 |
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美大生をつなげる72日間の連続展「Face to Face to Face展(F3展)」のレビ...
“Face to Face” 英語だけれど、カタカナ言葉としてもよく耳にする言葉。「向かい合って、相対して」つまり、文字通りに「顔と顔」をあわせ合って。
二人の人間が、顔をあわせ合っただけでも、世界が広がる可能性を感じる。もし仮に、一人であったとしても、鏡で自分と向かい合っただけでも、見えないものが見えてくることがある。しかし、今回の展示は、”Face to Face to Face展”。
「顔と顔と顔」をあわせ合った時に、どんなことが起きるのか。公式ブログには、コンセプトとして「モアノからはじまるFace to Faceのつながり」と書いてある。「顔」は、二人の作家(の作品)とモアノに足を運んだ私、でもいいだろうし、モアノという、ギャラリーでもありカフェでもある空間と作品と私でも、何も三つや、顔、にとらわれる必要も無いのだと思います。
一階の陽光注ぐ展示室には、安生成美の書の作品。
普段、私たちは文字を無意識のうちに、情報を伝達するメディアとして使用していることが多いのではないでしょうか。小学生の時に、書き初めを体験して、人が一人ひとり違うように、文字もそれぞれ違って、下手でも味がある字を書く人もいれば、言葉の意味をより引き立たせる美しい文字を書く人もいるということを多くの人が知っているはずなのに。
安生成美の書を通して、文字に対する芸術感覚を、ふと思い出しました。
作品は、紙に墨で書かれたもの(書)と、書を木などに自ら刻んだ(自書自刻)「刻字」とに大別されます。
現存する中では中国最古の石刻とされている詩を書いた《臨 石鼓文》。王の狩猟の詩であるという説明書きがなかったとしても、書の様子から、活き活きとした生命の様子と、書かれた文字一つひとつが、物語を伝えるパワーを持っていることがきっと感じられるはずです。
その文字のパワーを支えているのは、きっと《野趣》や《温習》、《耽学好古》という言葉たち。作品名にもなっているこれらの言葉は、書を越えて私たちに迫ることでしょう。
地下のギャラリーでは、地上とは打って変わった雰囲気で、足立篤史の紙を用いた立体作品を展示。
その作品のかたち(様々な乗り物)について語るメディア(新聞や資料)によって、かたちづくられた作品たちは、《物語り〜YAMATO〜》という作品名も示すように、形態と文字による記憶の相乗効果によって、物語を語り出すように感じられます。
その「記憶」について、戦時中の写真資料を用いてかたちづくったのが、新作でもある《記憶〜KAITEN》、《記憶〜ZERO》という二作品。
写真と記憶の関係性に着目して作品制作を行っている作家としては、クリスチャン・ボルタンスキーが有名ですが、足立篤史の作品は、戦闘機に関わった人々の写真を用いながら、回天や、左翼が焼け崩れた零戦を精巧につくることによって、様々な人々が回天や零戦に寄せる記憶や感情を、作品により凝縮していることが感じられました。
安生成美の書も、足立篤史の立体作品も、文字が作品に用いられていることは共通していますが、作品のジャンルや文字に対する姿勢もきっと違います。
また、モアノの展示室も、明るい一階と秘密の教会や洞窟といった風情の地下展示室とでは、全く違った雰囲気を持っている。
しかし、モアノの展示室の一階と地下階が小さな階段で繋がっていて、地上からの光がうっすらと地下からでも感じられるように、二人の作品も、現在の自分で完結するのではなく、過去の人間が遺そうと思った言葉、物語、景色、顔といった歴史性に支えられている。それは、我々人間の普遍的なありかたではないでしょうか。
ぜひ”Face to Face to Face展”に足を運んで、実際に「顔と顔と顔」をあわせ合って、あなただけのつながりを見出してみてください。
レビュアー:慶野結香